スマホ



ここ2年くらいずっと考えていたこと。
スマホについて。もっと言えば、ケータイゲームについて。



私もiPhone愛用者である手前、他人のことをどうこう言える立場ではないけれど、スマートフォン保有率が5割を超え、10代の保有率は8割を超えるというこの時代。どこを見渡しても、スマホスマホ。それが時代の流れなのだろう。わかる。しかし、疑問に思う事もあるのだ。



電車の中。通学途中。車内を見渡せば、乗客の9割は、俯き、手元の世界にのめり込む。朝でも、昼でも、夜でも。時間なんて関係無い。何がそんなに惹きつけるのだろう。皆、何をそんなに急いでいるのだろう。何秒、何分、永遠と連絡を入れなければいけないのだろうか。誰に?



そんな車内を見渡すとき、わたしは淋しくなるのだ。車窓に映る公園に目を向け、


「あ〜、綺麗。ピクニックがしたいな。気持ちいいだろうな。太陽のいい匂いがするんだろうな。」



なんて、わたしだけが思っているのだろうか。わたしの感覚が可笑しいのだろうか。こんなに幸せな気持ちになるのに。手元ばかりみてる、勿体無い。そう思ってしまうのだ。


車窓に映る世界を見ている人なんて、誰一人いない。みんな、俯いているのだ。


ただ、勉強をしていたり、読書をしていたり、そういう世界には別の話。それはとっても素敵だなと思う。



私が世界でいちばん嫌いなもの。


ケータイゲーム。


大人も子供もハマると抜け出せないのだろうか。コマーシャルでも放送されていることに、何の意味があるのだろうかと常に思う。


ある日、家族とご飯を食べに行った時の話。

隣のテーブルには、お父さんらしき人と幼い娘さんの2人があとから来た。パパと2人でお出掛けなんて微笑ましいな、なんて思っていた矢先、父親はずっとスマホばかり。音が耳に入り、すぐにゲームだと察した。目の前にいる子供が、あのね、あのね、と話しかけているにも関わらず、手元を見るばかり。私がふと、そちらに目を向けると偶然にもその子と目があった。その目は、とても寂しそうに感じたのは、私の思い込みだったのだろうか。可哀想だと思った。



この光景が珍しいとは感じないこの世の中に恐怖すら感じる。

18歳を目前にしたわたしが何を伝えられるだろう。考えても、何も浮かばない。ゲームをしている人を慢侮する気もない。すこし立ち止まって考えて欲しいのだ。その時間を別のことに充てられないだろうか。他人の話を顔をみて聴けないだろうか。ただそれだけ。それだけで、もっと世界が広がると思うのだ。笑顔が増えると思うのだ。



ネットを通じて、得るものもあれば、見えなくなるものもある。プラスがあれば、マイナスもある。



自分自身、もう一度見つめ直そうと感じた午後でした。





手元にはない世界。

顔を上げれば、綺麗な空が広がっているかもしれない。気づいてほしい。誰かに。